深夜特急シリーズを読み終えて、他に著者の沢木耕太郎さんが書いた書籍がないか調べてみた。
今回紹介する『旅の力 深夜特急ノート』は、深夜特急シリーズを読んだ読者から質問されたことを1冊の本にまとめるというコンセプトで書かれている。
深夜特急シリーズはロンドンで完結しましたが、その後の旅事情についても書かれています。
これから旅に出ようとしている私にとって、印象に残る箇所が多くありました。
印象に残った個所を引用し、自分がどうして印象に残ったのかを記録しておこうと思います。
めちゃくちゃ面白くて参考になりました
素のまま自分を楽しむ
日本の世界的なクライマー山野井康史さんは軽量化した装備で短期間に頂上を単独で目指す方法をやることが多い。
山野井さんの心情は「できるだけ素のままの自分を山に放ちたい」というものだった。
その山野井氏の意見はよく理解できた。そして思ったのだ。私が未知の外国を旅行するときにほとんどガイドブックを持っていこうとしないのも、できるだけ素のままの自分を異国に放ちたいからなのだ、と。放たれた素のままの自分を、自由に動かしてみたい。実際はどこまで自由にふるまえるかわからないが、ぎりぎりまで何の助けも借りないで動かしてみた。
もちろん、うまくいかないこともある。日本に帰ってきて、あんな苦労をしなくても、こうやればよかったのかとわかることも少なくない。しかし、だからといってあらかじめ知っていた方がいいとも思えない。知らないことによる悪戦苦闘によって、よりよく知ることができることもあるからだ。その土地を、そして自分自身を。
旅する力 深夜特急ノート 111ページより引用
装備を万全にして旅行計画を完璧にしてから旅に出る方が安全だと思います。
今の時代、旅先でもネットに繋がれば調べるのは簡単だし、なにより便利です。
だが、同時につまらなそうだとも感じました。
旅の経験値が低いうちは不安でたくさんネットで調べると思います。
けど、ある程度旅に慣れたら、あえてネットに繋がらない状況を楽しむのも1つの旅の楽しみ方かもしれないと思いました。
危機的状況で、自分はどんな風に対応するのか楽しみです
わかっていることは、わからないということだけ
『深夜特急』を読んで好きになった言葉は「わかっていることは、わからないということだけ」です。
わかっていることは、わからないということだけ。
私はその言葉を旅しているあいだ常に頭の片隅に置いていたような気がする。そして、その言葉は、異国というものに対してだけでなく、物事のすべてに対して応用できる考え方なのではないかという気もした。
いずれにしても、そのとき耳にした「わかっていることは、わからないということだけ」という言葉は、私がこのユーラシアの旅で学ぶことのできた最も大事な考え方のひとつとなったのだった。
旅する力 深夜特急ノート 117ページより引用
タイのリゾート地ソンクラーで出会った日本の駐在員夫婦との会話で教わっていた言葉です。
海外に行ったらわからないことだらけだと思います。
- 言語の違い
- 文化の違い
- 価値観の違い
同じ土地に滞在したとしても、時が経てば常識も変わるし、生活する地域によって常識が変わったりもする。
それは日本に住んでいても同じことだと思うが、海外だと意味も分からず差別されたりもあるかもしれない。
けど、それでいいのだと学んだ。
わからないから知りたくなるし、知りたくなったら調べたらいい。
わからないという状態も楽しんだらいいと思った。
「わからない」を面白がる
旅の窓は心の映す
旅をしているとバスや飛行機など、様々な窓から景色を眺めることになり、その光景がふと思い出されることがある。
それが何を表しているのかを説明するために、フレドリック・ブラウンの『シカゴ・ブルース』というミステリー小説の言葉が引用されている。
「おれがいおうとしたのはそれだよ、坊や。窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、自分がなにを見てるかわかるかい?自分自身を見ているんだ。ものごとが、美しいとか、ロマンチックだとか、印象的とかに見えるのは、自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、感激があるときにかぎるのだ。目で見えてるのは、じつは自分の頭の中を見ているのだ」
旅する力 深夜特急ノート 141ページより引用
「感動した」「印象に残った」ということは、自分が得た情報に対して何かしら思うことがあったということだ。
目にした光景や聞いた音色、口にした食事に対して自分が反応したのだ。
興味がなければ、きっとなんとも思わないだろうし、すぐに忘れてしまうだろう。
印象に残ったということは、あなたの琴線に触れたのだ。
その感想を他者へ伝えることで、感動を共有し共感することが人間の幸せに繋がるのだと思う。
そのために人類は表情や言葉、歌や絵などで感情を表現するようになったのだと思う。
私も旅で感じたこと文章や写真で記録し、仲のいい友人と共有したいなと思った。
英語も学びに行くし、英語でも表現できるようになりたい
ヨーロッパの冬
ロンドンで友人に電報を打ち、アイスランドへ向かう船のチケットを購入して物語は終わりました。
が、結局アイスランドには行かなかったみたいです。
ドーバーに出て、フェリーでオランダのロッテルダムに渡り、ヒッピーの聖地アムステルダムに行った。
そこでこれまで会ってきた旅行者たちに言われてきた「冬のヨーロッパは寒いぞ」という言葉の意味を思い知ることになる。
異国には旅が向こうから迫ってくる土地とこちらから向かっていかなければならない土地とがある。
たとえば、インドにおける旅人は町に着くといきなり無数の人々に取り囲まれる。タクシーの運転手、宿の客引き、物売り、物乞い、そして正体不明の人物。彼らに、さまざまな思惑を秘めた言葉を浴びせかけられる。旅人は、騙されまいと身構えてもいいし、騙されるのを覚悟で身を委ねてもいい。いずれにしても、そこから巻き込まれるようにして旅は始まっていく。
だが、これがヨーロッパだと旅の様相はまったく異なるものとなる。こちらから働きかけないかぎり旅は動かない。旅は巻き込まれるものではなく、自分が動かすもの、自分が創り出さなくてはならないものとしてあるのだ。
旅する力 深夜特急ノート 155ページより引用
国によって旅に種類があると知ることができた。
気温が寒いだけでなく、アジア圏のような人との触れ合いも少なくなる。
さらに路銀の懐事情も冷え切っていると、状況は悪化するような気がした。
両極端の二つの旅をどちらも経験しておくのは、自分自身を知るためにもいいことのように思う。
どちらの旅も知って初めて自分がどんな旅をしたいのかわかると思った。
ちょうどいいと感じる国もあるはず
旅で得たものと失ったもの
著者が旅で得たもの、失ったものについて書かれている。
「話のネタ」「地球の距離感を体感で理解できるようになった」というのが得たものとして挙げられているが、特に印象に残ったのは以下の内容だ。
私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
旅する力 深夜特急ノート 183ページより引用
私が旅に出たい理由の1つに、どんな状況でも生きていけるだろうという、根拠のない自信が欲しいという思いがある。
やってみて無理なら無理でいいが、やりもしないで無理だという判断するのは、多分死ぬ時に後悔すると思った。
だから、とりあえずやってみようと思う。
ちょうどいいと感じる国もあるはず
旅で失ったもの
旅で失ったものに関しては、考えもしなかった内容が書かれていた。
しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだ。
夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる、ということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊ったホテルの部屋より実在感がないような気がしてならなかった。
旅する力 深夜特急ノート 183ページより引用
「私の居場所はここではない」と感覚が常につきまとうのかもしれないと思った。
この感覚は長いこと旅をしてきたから感じることなのだと思う。
旅は滞在している環境が嫌になれば次の環境を目指せばいい。
だが、拠点を決めての生活は嫌なことがあっても、気軽に逃げることは出来ない。
嫌なことと向き合ってどうにか折り合いをつける必要がある。
著者は旅の終わり、旅の落とし所を求めてイベリア半島の端までもがいた。
もしかしたら腰を据えて落ち着ける居場所も、もがき探し続けた先にあるのかもしれないと思った。
心が納得するかどうかなのかな
紀行文の質
『深夜特急』を書く際に意識していたことが書かれていた。
ブログを書く身として、これから旅の記録を残そうと思っている身として参考になった。
重要なのはアクションではなくリアクションだというのは、紀行文でも同じなのではないだろうか。どんなに珍しい旅をしようと、その珍しさに頼っているような紀行文はあまり面白くない。しかし、たとえ、どんなにささやかな旅であっても、その人が訪れた土地やそこに住む人との関りをどのように受け止めたか、反応したかがこまやかに書かれているものは面白い。たぶん、紀行文も、生き生きとしたリアクションこそが必要なのだろう。
旅する力 深夜特急ノート 213ページより引用
ブログを始めて2年くらいが経つ。
これまで本の感想や良かった商品ついて自分の気持ちをまとめてきた。
自由気ままに自分の書きたいことを書いてきたせいもあってか、アクセス数は少ない。
けど、アクセス数が少なくても2年間も続けられているのは、自分の気持ちを文章にすること自体が楽しいと思っているからかもしれないと、今になって思う。
これからは語学留学や旅の様子についてもブログに書こうと思っている。
けど、観光雑誌や旅行サイトに載っている情報は最低限しか書かない気がする。
あくまで旅をしていて自分がその時にどう思ったのかについて書いていこうと思う。
きっといい思い出になるし、年をとってから自分で読み返せばいいかなくらいに思っておこう。
読者は未来の自分って考えれば、アクセス数は気にしなくていいや
旅の適齢期
26歳くらいが長期間の旅をするのに適しているのではないかと書かれている。
ある程度の日本での経験があり、未体験のことも多くあるから旅で感動することが多くあるということらしい。
あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。
旅する力 深夜特急ノート 236ページより引用
旅の適齢期の例として食事の話があげられており、貧乏旅でローカルの食事を美味しく感じるというのはアドバンテージになる。
お金を稼ぐようになって旨いものを食べすぎて舌が肥えると、海外でのローカル飯を食べても美味しく感じなくて旅の楽しみが減り、旅が苦痛に感じるかもしれない。
食事にこだわりがなく何でも美味しいと感じる、色んな現地の食事を食べてみようと思えるうちは旅を楽しめると思った。
私は今年で30歳になるが、体が動くうちに色々経験しておきたいと思って旅に出ることを決めた。
30歳になり体力の衰えや脂っこいものを食べると胃もたれを感じるようになってきた。
多分、ここで動き出さないと貧乏な旅を楽しむ余裕はなくなってくる気がした。
30歳からの旅なので、深夜特急で書かれている適齢期からは少し遅れてしまった。
大学生の時に行っておけば良かった、20代中頃に行っておけば良かったと多少は思ったりしますが、当時はそこまで海外に興味はなかったから仕方ない。
全く興味がなかったわけではないが、行動に移せるほどの決断は出来なかった。
私にとっては今が旅の適齢期なのだと思おう。
外の世界を見てみたい気持ちは今がピークだ。
30代は30代の旅を楽しめばいいと思った。
今が人生で一番若い時期だ
旅は人を変える
「大沢たかおさんが主演したドラマ版の深夜特急」と「猿岩石さんの旅」の話を題材に、旅がどう人を変えるのかについて書かれていました。
当時は同じ時期に放送されていて、同じ旅を題材とした映像作品だが、コンセプトの違いがあったと書かれています。
旅をバラエティとして考え、やらせでも面白い作品にすることを重視した番組。
仕事としての旅だが、自分自身の成長の機会と考えて挑戦した番組。
大沢たかおさんの日本に帰国してからのインタビューがカッコイイなと思ったので引用します。
この仕事をいただいたころの僕って、力不足を確認している一方でどんどん大役が入ってきて。自分の足で歩いていない、自分が頭打ちになっているんじゃないか、その不安感から逃げ出したかったんです。未知なものを求めて、仕事をすべて投げ出して旅に出た26歳の主人公と一緒でした。
原作に、「ふっと体が軽くなった気がした」とか、「また、ひとつ自由になれたような気がした」って表現が幾度も出てくるんですが、僕も第2弾のインド・ロケをしてる頃そんな感じを強くもった。一場面一場面完成させていく度に、重い服を一枚ずつ脱いでいったような。
だから、マルセイユで身体を壊して医者から帰国を命じられた時も、撮影を止める気はなかったですね。ここで散るなら散るでいいかなって。
旅する力 深夜特急ノート 252ページより引用
そして、著者の締めくくりの言葉もカッコいい。
旅は人を変える。しかし変わらない人というのも間違いなくいる。旅がその人を変えないということは、旅に対するその人の対応の仕方の問題なのだろうと思う。人が変わることができる機会というのが人生のうちにそう何度もあるわけではない。だからやはり、旅には出ていった方がいい。危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、やはり出ていった方がいい。いろいろなところに行き、いろいろなことを経験した方がいい、と私は思うのだ。
旅する力 深夜特急ノート 253ページより引用
旅に出たいと思うのは、何かしら変わりたいという思いがあるからだと思う。
今の現状を受け入れられないという思い、他の世界を見てみたいという思い、二つの気持ちが旅で出たいという思いに繋がっているのだろう。
どんな変化があるかはわからないし、変化を受け入れられないと思うかもしれない。
けど、変化を受け入れらるのか確かめるためにいろいろと経験しておこうと思った。
ドラマ版はYouTubeで見れるし、面白いのでオススメです
旅に必要な力
最終章で旅を振り返ってみて、どんな力が必要だったか書かれている。
- 食べる力
- 呑む力
- 聞く力、訊く力
何でも美味しく感じる、お酒に強いからコミュニケーションのきっかけになる、誰にでも話しかけられるので、現地の人と仲良くなれる。
これらは旅を楽しむのに必要な能力だったとふり返っている。
深夜特急を読んでいて思ったのは、現地の人と仲良くなって現地の簡単な言葉を教えてもらっている描写が頻繁に出てきて、コミュニケーション能力が高いなと思った。
逆に足りなかった力は、語学力や歴史や文化などの知識力だと書いてある。
ただ、旅は何が自分にとって足りないか教えてくれるいい機会だとも書いてある。
私も旅先で言葉がしゃべれないため摩擦を起こすたびに腹を立てたりしたが、根底のところではそれは自分のせいなのだと思っていた。
言葉の問題だけでなく、旅は自分の力の不足を教えてくれる。比喩的に言えば、自分の背丈を示してくれるのだ。私の肉体的な背の高さは、他国の同じ世代の旅人に劣ることはなかった。しかし、人間の力としての背丈が足りなかった。
この自分の背丈を知るということは、まさに旅の効用のひとつなのだ。
旅する力 深夜特急ノート 270ページより引用
深夜特急を読んでいて、言葉が伝わっていたら問題が起きなかっただろうなと思うことは多々あった。
相手が親切心でやってくれた行い、著者が親切心でやった行いが、言葉が伝わらなかったせいで間違って理解されて喧嘩になったりしていた。
旅に出ると歯がゆい思いはすることも多いだろうなと思った。
けど、その経験も自分を知るいい経験になるのかなと思った。
旅は自分を知るいい機会だ
【まとめ】世界は学校
今回は『旅する力 深夜特急ノート』を読んだ感想をまとめました。
最後に、これから旅に出ようと考えている人に著者はメッセージを書いてくれていました。
異国はもちろんのこと、自国においてさえ、未知の土地というのは危険なものです。まったく予期しない落とし穴がそこそこあります。しかし、旅の危険を察知する能力も、旅をする中でしか身につかないものなのです。旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であるとともに、大きくなるための力をつけてくれる場でもあるのです。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり、教室は世界そのものであるという学校。
もし、いま、あなたがそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を送りたいと思います。
「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」と。
旅する力 深夜特急ノート 276ページより引用
現代はインターネットで調べようと思ったら、海外のことを知ることができます。
もしかしたら、VR技術が発展して仮想世界で世界一周を体験することが当たり前の世界が来るかもしれません。
けど、わざわざ旅に出たいのは現実世界でしか経験できないこと体験しておきたい、誰かのブログに書いた感想ではなく自分自身がどう感じるのかを体験したい、という思いがあるからかもしれません。
私はまだ日本での教科書しか持っていません。
世界という教室で、自分なりの教科書を書き上げて行ければと思います。
印象に残る箇所が多く、メモしておきたいことが沢山あって記事が長くなってしまいました。
それだけ旅に出たいと考えている人にとって有用な情報が多い一冊だと伝われば嬉しいです。
興味があればのぞいてみてください。
最後まで読んでくれてありがとう
今回の記事で紹介した商品
旅する力 深夜特急ノート