前回『深夜特急1 -香港・マカオ-』の感想をまとめました。
旅の続きが気になり『深夜特急2 -マレー半島・シンガポール-』を読んだので感想をまとめようと思います。
『深夜特急2 -マレー半島・シンガポール-』は香港からインドのデリーへ向かう道中のエピソードで構成されています。
以下は目次です。
- 第四章 メナムから(マレー半島Ⅰ)
- 第五章 娼婦たちと野郎ども(マレー半島Ⅱ)
- 第六章 海の向こう(シンガポール)
香港のような刺激的な場所は少なく、物足りなくなってきている感じが伝わってくる。
旅することに慣れてきて、色々と考える時間が増えてきた。
- なんで旅を始めたのだろう?
- いつまで旅を続けるのだろう?
- 旅の終わりに何が待っているのだろう?
そんな心の葛藤が見れる。
それも旅の醍醐味だと思う
第4章 メナムから(マレー半島Ⅰ)
香港からタイのバンコクへ飛行機で移動した。
宿も取らずに到着したが、焦りは無く「なんとかなるだろう」という感覚になっていた。
空港で困っていると声をかけてくれた人に紹介された宿に泊まったが、また売春宿だった。
だが、香港での何度も経験したため、もう気にならなくなっていた。
第四章では旅のお金についての印象に残っている。
- ストリートチルドレンに寄付を要求されたり
- ぼったくられそうになったり
- 紹介料目当てで宿のスタッフから勧誘されたり
旅が長くなってきて、お金に関するエピソードがちらほら紹介されており、そういった経験から出てきた考えが印象に残った。
私は旅に出て以来、ことあるごとに「金がない」と言いつづけてきたような気がする。だが、私には少なくとも千数百ドルの現金があった。これから先の長い旅を思えば大した金ではないが、この国の普通の人々にとっては大金というに値する額であるかもしれない。私は決して「金がない」などと大見得を切れる筋合いの者ではなかったのだ。
もちろん、「金がない」と言うだけなら、私は自分を卑しいとは感じなかったろう。私がその台詞を使う時、どこかでその相手の親切を期待するところがあったような気がするのだ。ほんの少しであっても、金のない旅人が土地の人の親切を受けるのは当然だという思いを抱いていなかったかどうか、私には「いや」と言い切れる自信はなかった。「金がない」という台詞を使わないときにも、相手の親切を期待する気持ちが態度に滲み出ていたのではないだろうか。だからこそキャン君は、何も言わずにバス代も夕食代も払ってくれた。もしそうだったとすれば、それは手を差し出さないだけの物乞いというにすぎないではないか…。
深夜特急2 より引用
多分、私も世界を放浪することになったら「金がない」という言葉は何度も使う気がする。
- 客引きから身を守るため
- 寄付の要求を断るため
- 旅費を節約するため
そして「金がない」=「困っているから助けてほしい」と他人の親切心に期待するようになるのかもしれない。
旅を続けていると、もしかしたらそんな感情が湧いてくるのかもしれない。
人から差し出された手を素直に受け取ることが正しいのか?
親切心に付け込んで性格のいい人に甘えているだけではないのだろうか?
自分だったらどうだろうと考えた。
多分、めちゃくちゃありがたいので素直に受け取る気がする。
なんらかのお返しはするとは思うが、何がお返しになるのだろうと思った。
他のお金に関する状況として、助けを求める子供から寄付を要求されたら自分はどうするのだろうと思った。
- 小銭を渡すのだろうか?
- お金は渡さないけど、食べ物を渡すのだろうか?
- それとも無視して通り過ぎるのだろうか?
- 1人だけに渡すのか?
- 困っているみんなに渡すのか?
困っている相手の言われるままお金を払っていると資金は減ってく一方だし、断るのも勇気がいると思う。
もしくは断ることにも慣れてしまうのだろうか?
この葛藤に正解はないと思う。
そんな場面になってみないとわからないけど、色々と思うことはありそうだと感じた。
自分だったらどうするだろうと考えさせられたよ
第5章 娼婦たちと野郎ども(マレー半島Ⅱ)
バンコクでも香港のような心躍る体験を期待していたが、思ったようにはいかない日々が続いた。
これ以上はバンコクにいても仕方がないと判断した著者は、シンガポールへ行けて歩みを進めた。
ただ、バンコクからシンガポールまで直接行くのはもったいないと考え、気になった土地や地元の人にオススメされた土地を訪れることにした。
第5章では何箇所か立ち寄っているが、特に面白かったエピソードはペナンでの話だ。
第五章のタイトルにもなっている通り、娼婦たちと野郎どものお話になる。
安い宿を探していると、やはりオススメされたのは売春宿だった。
その売春宿の女性たちやその彼氏(ヒモ同然)の人たちと仲良くなり、映画に行ったり、ピクニックに行ったりと、とても仲良くなって長居している。
話としてはそれだけだが、知らない土地で言葉も十分にはできなくても、興味を持ってくれて一緒に楽しめる関係を築けることは素晴らしいことだと思った。
ペナンという土地柄なのか、たまたま出会った人たちがいい人だったのかはわからないけど、著者は旅での交流を楽しんでいる。
もちろん全ての人がいい人ではないので、信用できるか判断する必要はあるが、それも旅の醍醐味だと思う。
私も旅での交流を楽しもうと思えた
第6章 海の向こう(シンガポール)
シンガポールでは、まだ世界一周旅行を始めたばかりのニュージーランドの若者たちと出会った。
どこを旅してきたのか、これからどこに行く予定なのか話し合い、どれくらい旅をする予定なのかの話題になった。
著者は半年〜1年くらいでロンドンまで行って帰るつもりだったが、若者たちは4~5年くらい旅をするつもりだった。
そのことを聞いた時の著者の思いが印象に残ったので引用する。
だが、よく考えてみれば、いや、よく考えてみるまでもなく、半年でロンドンに行かなければならない理由は何ひとつなかったのだ。一年でも二年でも、彼らのように三年、四年かけてもいい。私はその単純なことにこれまでまったく気がつかなかった。ただひたすら、半年後、半年後と思っていた。このような旅に一年も二年も使うということに考えが及ばなかったのだ。
私は眼の前の霧が吹き払われたような気分になった。急ぐ必要はないのだ。行きたいところに行き、見たいものを見る。それで日本に帰るのが遅くなろうとも、心を残してまで急ぐよりはどれだけいいかわからない。そうだ、そうなのだ…。
深夜特急2 より引用
別に旅に期限なんてない。飽きたらやめたらいいし、資金が尽きたらやめたらいい。
誰かと比べて急ぐ必要もない。自分のペースで、自分の好きなように過ごし、自分の好きなものを見たらいい。
自分の旅はそんな旅にしようと思えた。
第六章では著者の職業と旅に出た経緯について書かれている。
フリーランスのノンフィクションライターをしていて、プロではないが仕事が軌道に乗ってきたタイミングに旅立つことを決めた。
人気が出てきて自由な時間がなくなってきたというのが旅に出た要因の1つ目で、「男は26歳になるまでに一度は日本から出た方がいい」という他のジャーナリストのアドバイスが要因の2つ目らしい。
職業は全然違うが、読んでいて自分も同じような気持ちになったので少し理解できた。
このままシステムエンジニアとして特に興味のない、よくわからん工場の保守をして老いていくのか?
このまま工場の設備とパソコンの画面しか見ないで視力を失っていくのか?
24時間365日稼働している工場なので、設備がトラブったら深夜だろうが休日だろうが呼び出されることに嫌気がさしていた。
会社からの電話が鳴ることに怯えて生きていくことが嫌になっていた。
もう、ほっといてほしかった。
多分、このまま続いていると心は壊れるような気がした。
というのが、退職・旅に出るマイナスの要因だ。
幸か不幸か、守るべき家族いるわけでもなく、借金を抱えているわけでもない。
投資の種銭として蓄えていたお金が多少はあったので、しばらくは収入が途絶えても平気だろうと思う。
将来性を考えて日本以外の環境でも生きていけるスキルは、今後の選択肢を増やすと思い、退職し語学留学に行き、海外での生活が面白かったら世界を飽きるまで放浪しようと思っている。
人生に自分の好き勝手に旅をし、この世界を楽しんだという満足感が欲しいなと思っている。
そうなれば生への執着は消え、いつ死んでも後悔がないだろうと思えた。
というのが、退職・旅に出る要因1つだった。文字にしてみると自暴自棄のようにも感じるが、気にしないことにした。
ちなみに、旅の終わりについては考えていない。
旅の終わりについては、ニュージーランドの若者たちとの会話にもあり印象に残っている。
「旅行から帰ったらどうするつもり?」
私が何気なく訊ねると、二人は初めて暗い顔つきになって、呟いた。
「そう…」「わからない…」
あるいは、彼らも人生における執行猶予の時間が欲しくて旅に出たのかもしれない。だが、旅に出たからといって何かが見つかると決まったものでもない。まして、帰ってからのことなど予測できるはずもない。わからない。それ以外に答えられるはずがなかったのだ。
そして、その状況は私にしても大して変わらないものだった。わからない。すべてがわからない。しかし人には、わからないからこそ出ていくという場合もあるはずなのだ。少なくとも、私が日本を出てきたことの中には、何かが決まり、決められてしまうことへの恐怖ばかりでなく、不分明な自分の未来ににじり寄っていこうという勇気も、ほんの僅かながらあったのではないかという気がするのだ…。
深夜特急2 より引用
私の旅の終わりはどんな結末を迎えるのかは分からない。
ただ、あんまり先のことを細かく考えるのはやめようと思った。
色んな物を見て、色んな文化を経験し、色んな物を食べ、色んな人と交流した結果、日本にいた時の自分と同じ考え方ではなくなっているだろうと思う。
日本しか知らない私と色んな経験をした私では、世の中の見え方がきっと変わっているだろう。
「人間は自分の知っている範囲でしか物事を考えられない生き物だ」と、どこかで聞いたことがある。
だから、今は興味がある方向へ進んでみよう、色んな経験をしておこうと思った。
先のことは、その時の自分が決めるが嫌でも決めてくれるだろう。
あるがままの現実を受け入れようと思う
【まとめ】世界とは一冊の本である
今回は『深夜特急2 -マレー半島・シンガポール-』の感想をまとめました。
旅に慣れてきた著者は色々と考える余裕が出てきて、旅とは?お金とは?優しさとは?人生とは?と答えのない問いに奮闘しているのが、見ていて面白かった。
そして、自分も考えさせられることが多くあった。
本を読んでいて、古代ローマのキリスト教神学者 アウグスティヌスの言葉を思い出していた。
世界とは一冊の本であり、旅に出ない者は同じ頁ばかり読んでいるのだ。
The world is a book, and those who do not travel, read only one page.
アウグスティヌス
同じ環境に居続けていると、その環境のルールが常識になり、その人にとって世界のすべてになる。
手を伸ばしページをめくれば、他の世界を知ることができる。
著者は新しい世界を知り、様々な経験をしたから疑問や葛藤が生まれたのだと思う。
私もせっかくこの世に、この時代に生まれたのだから、今だからできることを楽しみ、多くを経験したいと思っている。
いい物語ばかりでなく、葛藤することもあると思う。
でも、それも含めて楽しもうと思った。
興味があれば読んでみてください。
最後まで読んでくれてありがとう
今回紹介した商品
・深夜特急2 -マレー半島・シンガポール-