前回、『深夜特急3 -インド・ネパール-』の感想をまとめました。
今回は『深夜特急4 -シルクロード-』を読んだので感想をまとめようと思います。
『深夜特急4 -シルクロード-』は、インドに沈没している状況から脱出するため、シルクロードを経由し西へ向かっていくお話です。
以下は目次です。
- 第十章 峠を越える(シルクロードⅠ)
- 第十一章 柘榴と葡萄(シルクロードⅡ)
- 第十二章 ペルシャの風(シルクロードⅢ)
かつて貿易が盛んだったシルクロードでの旅がメインの話なので、人々と交渉する場面が多かったように感じます。
旅の折り返し地点に差し掛かり、旅の終わりを意識し心情に変化が見られるのも見どころの一つです。
神秘的なシルクロードの世界の一部を紹介します
第十章 峠を越える(シルクロードⅠ)
『深夜特急3 -インド・ネパール-』では、インドで体調を崩してドミトリーに倒れた場面で終わりました。
旅先で体調を崩したとき、どうやって対応するのか気になっていましたが、解決策は人の助けでした。
ドミトリーの主人がくれた緑の丸薬を服用して、何日か安静にしていたら体調がよくなっていきました。
「インドの病気はインドの薬でしか治らない」という言葉があるそうです。
長旅をして一度の体調を崩さないことは無理だと思うし、一人で旅をするということは自由であるのと同時に、緊急事態に頼れる人がいないということです。
体調を崩したとき、周りに助けてくれる心の優しい人がいるかどうかが、生きるか死ぬかの分かれ道なのかもしれません。
気が済むまで一人旅をしたいですが、少し怖くなったエピソードでした。
体調がよくなってからは、無理のない範囲で観光を楽しんでいましたが、観光にも飽き、無駄な時間を過ごす日々が続きました。
環境を変えるためインドから出ることを決心し、パキスタンとの国境にあるアムリトサルへバスで向かいます。
そのバスで赤ん坊を抱える夫婦と出会い、赤ん坊に笑いかけられたことをきっかけに、赤ん坊を抱かせてもらうことになりました。
赤ん坊を抱いて気が付いたことは、赤ん坊は水痘か天然痘にかかっているということです。
普通の日本人であれば「病気がうつるかもしれない」と狼狽えるような場面ですが、この時の著者の考え方が印象に残ったので引用します。
インドを歩いているうちに、ある種の諦観のようなものができていた。たとえば、その天然痘にしたところで、いくらインド全土で何十万人、何百万人の人が懸かっているといっても、残りの五億人は懸かっていないのだ。そうであるなら、インドをただ歩いているにすぎない私が感染したとすれば、それはその病気によほど「縁」があったと思うより仕方がない。ブッダガヤで何日か過ごすうちに、私はそんな風に考えるようになった。
中略
ブッダガヤでは、身の回りにそんなことがいくつも転がっていた。そのうちに、私にも単なるあきらめとは違う妙な度胸がついてきた。天然痘ばかりでなく、コレラやペストといった流行り病がいくら猖獗を窮め、たとえ何十万人が死んだとしても、それ以上の数の人間が生まれてくる。そうやって、何千年もの間インドの人々は暮らしてきたのだ。この土地に足を踏み入れた以上、私にしたところで、その何十万人のうちのひとりにならないとも限らない。だがしかし、その時はその病気に「縁」があったと思うべきなのだ。
深夜特急4 より引用
著者はインドでの生活で、病気になるときはなるし、そうなる運命であったと現実を受け入れるように考えるようになった。
あるがままを受ける入れる心構えは大切だと思うが、本心から理解することは難しい。
そうありたいと思う気持ちはあるが、余裕があるうちだけ言える薄っぺらい言葉みたいな気がしている。
本当に病気になった時、あるがままを受け入れられる自信があるだろうか。
旅を通じて、ありのままの現実を受け入れる心の強さを少しでも手に入れていけたらいいなと思った。
旅は人を成長させるだろう
第十一章 柘榴と葡萄(シルクロードⅡ)
パキスタンを超えてアフガニスタンのカブールに到着し、宿で7~8人かの日本人に出会った。
いい人が多く、雑談したり、歌を歌ったり、ハシシを皆で廻して吸ったり、楽しい時間を過ごしていた。
感慨深い内容の雑談があったので引用しようと思う。
これから私がヨーロッパへ向かうと知ると、ドイツに一年いたというダンディーの横田さんはこう言ったものだった。
「ヨーロッパの冬は寒いぜ。でもそれは、雨が降るから、雪が降るからという寒さじゃない。宿に帰っても誰もいないという寒さなんだ」
しかし、その寒さはヨーロッパに限ったものではなく、旅人が迎えなくてはならない冬というものに、常について廻るもののようにも思えた。
深夜特急4 より引用
皆、一人旅が長くて人恋しくなり、部屋にこもっているよりも、広間で集まって何かしている。
一人で自由きままに旅をしているが、一人で居続けると寂しいという矛盾。
自分勝手だと思うけど、それも人間の一面なんだと思う。
20代のころ、車中泊で九州を1周したことがある。
3週間くらい旅だったが、途中から孤独さを感じるようになったのを覚えている。
最初は楽しい。行こうと思えば自分の力だけでどこまでも行けると思えた。
行きたい観光地や食べたい物を食べて好き勝手するが、少しずつむなしくなってくる。
観光地を訪れても、観光地だなーとしか思えなくなり、興味がなくなってくる。
家族連れやカップルを見かけると、いいなー、羨ましいなと思っていた。
「旅はどこに行くかではなく誰と行くか」という言葉は的を得ているように感じた。
そんなむなしいような、悔しいような思いをしたけど、旅は行ってよかったと思っている。
何が思い出に残っているかと言われたらこれと言ってないのだが、「車中泊で九州を一周した」という経験自体をやってよかったと思っている。
「自分が行こうと思えばどこへでも行っていいんだ」と思えたことは、これから世界に踏み出そうという背中を押してくれたように感じる。
きっと、世界を旅する最中、何度も孤独を感じるだろう。
けど、孤独が理解できるからこそ、一緒にいてくれる人のありがたみも感じるのだと思う。
孤独と人といる幸せ、両方に感謝できる人間になりたい
友人がイランのテヘランに滞在していることを知り、アフガニスタンのカブールからバスで移動することになった。
バスでの移動中、休憩で立ち寄ったガソリンスタンドで、オランダ人の若者と物乞いの子供のエピソードが印象に残ったので引用する。
そのオランダ人の若者はアフガニスタンのカブールの宿で知り合ったが、著者の落としたクラッカーや他の人が残した食べ物を分けて貰っているくらいお金がない。
そんな彼だが、物乞いの子供たちに手を差し出されたら、ポケットに入っていたなけなしのお金を差し出した。
彼は何のためらいもなく、手の上で仕切った二つずつの硬貨を、一組はひとりの男の子に、一組はもうひとりの男の子に、そして残りの一組は自分に、と身振りで説明した。子供たちはわかったというように大きく頷くと、嬉しそうにリアル貨を二つずつ摘まみ上げた。それを見て、彼もまた嬉しそうに二リアルを一方の手に取った…。
深夜特急4 より引用
一リアルは4.5円ほどなので六リアルは約30円。
金額でみると少額だが、自分もお金がない状況で他人に分け与えることができるのは、どういう心理状態なのだろうと思えた。
多分、私には無理だ。自分の今後のことで精一杯になっていて、他人に分け与える余裕なんてないと思う。
オランダ人の彼は、きっと我々とは違う世界を見ている気がした。
私もその境地に立ってみたいと感じた。
著者もこれまでの旅で物乞いに声を掛けられることが多々あったが、ひとりにも金を恵むことはなかった。
- ひとりの物乞いに恵んでも何かが変わるわけではない
- 根本的な仕組みを変えないと意味がない
- 人に恵むことは傲慢な行為だ
そんな思いが著者の胸にあり、頑なにお金を恵むことはしてこなかった。
だが、この出来事に出会って、考え方が少し変わったのが印象的だったので、引用しようと思う。
そこまで考えが及ぶと不思議に気持ちが軽やかになってきた。自分をがんじがらめにしていた馬鹿ばかしい論理の呪縛から解き放たれて、一気に自由に慣れたように思えてきた。なぜ「恵むまい」などと決めなくてはいけないのだろう。やりたい時にやり、恵みたくないときには恵まなければいい。もし恵んであげたいと思うなら、かりにそれが最後の十円であっても恵むがいい。そしてその結果、自分にあらゆるものがなくなれば、今度は自分が物乞いをすればいいのだ。誰も恵んでくれず、飢えて死にそうになるのなら、そのまま死んでいけばいい。自由とは、恐らくそういうことなのだ…。
深夜特急4 より引用
日本から出たことがないので、物乞いに出会ったことはない。
実際に出会ったら、私はお金を恵むのだろうか、無視するのだろうか。
今はわからないけど、その時に感じたように行動しようと思えたエピソードでした。
何が正しいのかはわからないけど、自分が正しいと思うことをしようと思う
第十二章 ペルシャの風(シルクロードⅢ)
イランのテヘランに到着し、友人とも会うことができ夕食をごちそうになり、イランのイスファハンへ向かった。
イスファハンで「王のモスク」を見学中、老人たちが朗読するコーランを聞きながら著者が考えていたことが印象に残ったので引用する。
私にはひとつの怖れがあった。旅を続けていくにしたがって、それはしだいに大きくなっていった。その怖れとは、言葉にすれば、自分はいま旅という長いトンネルに入ってしまっているのではないか、そしてそのトンネルをいつまでも抜けきることができないのではないか、というものだった。数か月のつもりの旅の予定が、半年になり、一年になろうとしていた。あるいは二年になるのか、三年になるか、この先どれほどかかるか自分自身でもわからなくなっていた。やがて終わったとしても、旅という名のトンネルの向こうにあるものと、果たしてうまく折り合うことができるかどうか、自信がなかった。旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。だが、私は、もう、それらのものと折り合うことが不可能になっているのではないだろうか。
深夜特急4 より引用
旅の終わりについて考えることはたまにある。
まだ旅に出てもいないので、気が早いと思うが、旅が終わったら何が変わって、何をしているだろう、何をして生きていくのだろうと考えることがある。
「自分の気が済むまで旅をしておきたい」という気持ちは噓ではないし、もし旅に行くことが怖くなり、中止して適当な会社に再就職してしまったら、また「旅に出たい」という言い訳を使って辞めたくなる気がする。
自分で言い出したことなのだから、けじめとして満足するまで旅をしてみようと思う。
「世界を旅をして、ある程度自分の人生に満足した」「人生でやっておきたいことをある程度やった」という状態でないと次に進めない気がする。
進めたとしても、モヤモヤした気持ちを抱えたままな気がする。
自分の人生に満足したら、人のために生きてもいいかと思えるかもしれない。
年齢的に自分の子供を作ることは難しい気がするが、世の中の子供たちに貢献できる仕事をしようかと考えている。
旅から帰ってきたときも今と同じ気持ちでいるかはわからないが、メモ書きとして今の気持ちを記録しておこうと思った。
旅の終わりには、どんな風に世界が見えるのだろう
【まとめ】人との交流が考えを変える
今回は『深夜特急4 -シルクロード-』の感想をまとめました。
シルクロードは「アジアからヨーロッパまでのユーラシア大陸の東西を結ぶ道」を指します。
シルクロードの名前の由来は、中国で生産された絹製品を西の国へ貿易することからきているらしいです。
絹製品以外にもさまざまな物を商人たちがローマ、西アジア、インドなどへ運んでいました。
貿易を通じて多くの商人の行き来があった結果、文化や宗教もシルクロードを経由して広がっていったとされています。
人との出会いや交流は、出会ったお互いの価値観を変えていく力があると思います。
変化は少しずつで自分では気が付かない程度かもしれないが、長期的に見ると大きな変化になるかもしれません。
文化や宗教はすぐに広まったわけではなく、旅人との出会いや交流が土地の住民たちの考え方が少しずつ変わっていき、土地に定着して現在の文化や宗教として受け継がれているのだと思います。
旅に出たら私自身も価値観の違いに気が付き考え方が変わるだろうし、出会った人にも多少の気づきはあるのではないかと思います。
色んな土地へ行き、色んな人たちと交流して、思考の幅が広がっていったらいいなと思いました。
さて、『深夜特急』シリーズも巻数的に旅の折り返し地点を超え、旅の終わりを意識し始めているのが感じられます。
これからの道中でどんな物語があり、どんな結末を迎えるのかが気になってきました。
興味があれば読んでみてください。
最後まで読んでくれてありがとう
今回紹介した商品
・深夜特急4 -シルクロード-